美意識とは。
最近、かの有名な天才棋士、羽生善治永世七冠が執筆された『人工知能の核心』という本を読んだ。この本のなかで僕が面白いと思ったのは、羽生さんが考える人間の美意識の話だ。
私には、人間の持つ「美意識」は、「安心」や「安定」のような感覚と近しいものであると思えるのです。(p81)
美意識、というとすごく抽象的で、人間がなんとなくいいなと思うところを指したフワフワした言葉な気がしていたが、この説明はストンと腹落ちした気がした。
音楽でも安定した響きを持つメジャーコードがよく使われるし、写真の構図でも、やはり安定感のある構図は強い。少し斜めになっている写真を気持ち悪いと思うのは、そこに安定性が欠けているからだろう。
将棋の世界では、トッププロは駒の配置を図形として認識していているようだ。頭脳に大量に蓄えられたデータベースにアクセスし、美しいと思う形を目指して自陣の駒を動かしていく。この美しさの理解力こそが棋力、すなわち将棋の世界での戦闘力なのだ。
ただ、その美意識も時代とともに変化していく。かつて、一世を風靡した矢倉戦法。自分も将棋を覚えたての頃にやったことがあるし、当時はNHKの将棋中継でも、相矢倉(先手後手の両方ともが矢倉戦法を使うこと)の局面になることはままあったように記憶しているが、よくよく言われてみると、最近矢倉を使っているのなんて見たことがない。つまりはり、将棋の世界だけをとってみても美意識は変化しているのだ。
将棋の指し手を選ぶ際、人工知能と人間の違いは「美意識」に基いているかどうかだ。人工知能にはない人間のアイデンティー、その本質的な部分をこの本を通して垣間見たような気がした。