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【書評】『畑村式「わかる」技術』

 

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

畑村式「わかる」技術 (講談社現代新書)

 

 

今回は『失敗学のすすめ』(講談社2005年)の著者として有名な畑村洋太郎氏の本を紹介したい。

 

私は某出版社で編集の仕事をしているが、著者の先生から頂いた原稿を拝読する際に

「この説明で読者が『わかる』だろうか?」ということを考えながら編集作業にあたるようにしている。

 

それでは、この「わかる」という言葉、これは具体的にどういう状態を指す言葉なのだろうか?

普段良く使う言葉ではあるが、具体的に説明しようとするとなかなか難しい。本書を読むと、この「わかるとは何か」という問いに対するたくさんのヒントを得ることができる。

 

 

 畑村氏によれば、人は、見たり聞いたりした物事と、自分の知識や過去の経験をもとに構築した「テンプレート」を無意識のうちに比較しているらしい。

 

 たとえば、りんごを見たときを考えてみる。

 

大雑把に言うと、りんごは「赤い」、「丸い」という2つの特徴を持っている。そして私たちは、そのようなものを「りんご」として認識しており、「赤い」、「丸い」といったような特徴を、りんごの要素のテンプレートとして頭の中に持っている。

細かく分けると「りんご独自の形」など、他にも要素はあるが、この二つを中心とした要素を持っている物体を見ると「私たちの頭の中にある、りんごの要素のテンプレート」とかなりの確率で一致する。こうして、私たちはその物体を「りんごである」と認識するのだ。

 

本書では、上記のりんごの例を「要素の一致」といい、他にも「構造の一致」、そして「頭の中で新たにテンプレートを作る」ことが、物事を「わかる」状態の例として挙げられている。

 

 

さらに、上述のようなことを踏まえ、学習者の頭の中に、新たにテンプレートを作ることができない既存の教科書の限界や、ある一定の枠組みでしか成り立たない「形式論理」へと話が発展する。

 

形式論理の具体例として、物理学の熱力学、統計力学が挙げられており、粒子の集団を巨視的(マクロ)に捉え、一つ一つの粒子の動きは無視する熱力学の限界に触れている。

熱力学など、ある一定の範囲で成り立つ理論体系のテンプレートを頭の中に入れた場合、どの範囲で成り立つのかを把握していないと「わかっているつもり」になってしまう危険があるそうだ。

 

 

 

 

基本的に「わからない」ことは気持ちが悪いものだ。だから、「わかる」ということに関心が高い方は、(無意識の場合も多いと思うが)案外多いのではないか思う。ぜひこの機会に、本書を読んで「わかる」とは何なのか、考えてみるのはどうだろうか?

 

 

 

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

 

 

失敗学 (図解雑学)

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